2010年10月27日水曜日

蕎麦神降臨

本当に美味しい蕎麦に巡り会ってしまう、というのは時として不幸なことであります。ましてその店が自宅から遠いときにはなおさら。
どこやらへの旅行の帰り、蕎麦でも喰うか、とガイドブックをみたらたまたま通り道だったので入った店でありました。普通の食堂っぽいとこでしたが自家製粉、手打ち、十割の蕎麦屋さん。ざるそば頼んで待つことしばし。
見た目も鮮やか、仄かな翡翠色輝く細い蕎麦。しゃきっとコシがあり蕎麦が香りしみじみと甘い。鰹が効いたダシと相俟ってそれはもう至福のひとときだったのでした。
それ以後、どこの蕎麦を食ってもおいしくない。いや、まずいわけではないのですが、そのお店程の感動がない。鮮烈さがない。で、ものたりない。
で、しょうことなしに車を駆ってそのお店に行かざるをえないのです。この味を知ってしまった不幸を嘆きつつ一枚のざるそばの至福に酔うために。遠いなあ、もっと近くにあったらええのに、とぼやきながら。ちょっとした蕎麦ホリック状態であります。てかそのお店の蕎麦の中毒であります。

山科で蕎麦屋を始めるにあたっては、やはりその店の蕎麦が究極の目標で、半歩ずつでも近づいて行けたらなあ、という思いをもっているのです。まあ、できることしかできないわけでありますが。

さて、先日。はて、あのお客さんには見覚えが。一体誰だったか?あ、あの店の大将…!と気がついたらもうアドレナリン分泌しまくり。心悸が亢進して口喝感に襲われ、足まで震えてくる情けなさ。
同期で先に開業した人が、「同業者が来店すると緊張する」と言うてはったのですが、それどころの騒ぎじゃない。なんと言ってもね、ただの同業者ぢゃないんだよ。蕎麦の神様なんだぜ。正真正銘の。(個人の感想であり、普遍化を主張するものではありません。)

なんせミーハーなもんで、スタッフが注文取ったすぐその後で「○○(お店の名前)さんの…ですよね?」と挨拶させていただいて、「サインもらえませんか?」と言ってまったのです。さすがに断られてしまいましたが。

なにゆえ神様(個人の感想です)がこの辺境の地へ降臨されたのか?それはやはりこのブログのおかげなのかも知れませぬ。米欄で客を罵倒する八五郎坊主みたいなけったいな蕎麦屋に好奇心を持ってくださったのか。あら、めっさ恥ずかしい。

蕎麦はもちろんご満足いただける出来ではないのですが、もうね、あの方が来店して下さって、ワシの蕎麦を食べてくれはった、直接お話が出来た、アドバイスまで頂いた、あまつさえ、名刺までお渡ししてしもた!というだけで光栄なのです。
吉永小百合さんか田中麗奈さんが来店!というのに匹敵する程うれしい、つまり最高にうれしいことなのです。(個人の感想です)

うっしゃ!がんばろう。
と元気をいただいた感じです。

んじゃまた
亭主敬白


2010年10月13日水曜日

逆襲の…

開店一ヶ月を経過し、オペレーションにもそれなりの自信がつき、一方宣伝不足で来店数は限られておりだいぶ貧乏神に攻め込まれている状況なので、ここらで一発反転攻勢をかけるべき時期かと判断をしました。
具体的には新聞の折り込みチラシ。
地元のシェア一番の京都新聞へ、新十条通りから北の山科区北半エリア対象にのべ14,800枚。
印刷代、折り込み代合わせて8万円弱。

突然、「実は開店してました~」というチラシが入ってもなんだかなあ、ですので「開店1ヶ月謝恩祭」という形にしました。かなりこじつけっぽいですけどね。
謝恩祭だからなんか目に見えるメリットを提供する必要がある。景品付けるのは大変。であれば割引のお試し価格(10%引)で提供させて頂こう。
で、大枚かけて配布しても効果の程がわからないのでは、と思って、「チラシご持参の方に限り1割引」という形をとりました。会計伝票に「チ」の文字を入れておけばチラシを見てこられた方の数がわかり、14,800分(ぶん)の○○、と効果が具体的な数字で測定できるだろうと。

新聞販売店の方のお話では、3連休最終の11日が比較的チラシは少ないよ、とのこと。山のようなチラシに埋もれる可能性はまだ低かろう。と言うわけで11日から今月末までが蕎岳開店一ヶ月謝恩祭。11日の朝刊にドンと折り込まれたのでした。

ドキドキはらはらの月曜日、開店15分。お客様はゼロ。
だめじゃん。効果ないじゃん。
まだ15分しかたってないよ、店長。
といったやり取りをスタッフとしてるウチに以前からお世話になった方が御来店。そうこうしてるうちに始まったのでした、夢にまで見たひっきりなしの御来店状況。

翌火曜日は平日でしたがやはり同様にお客様の切れ目がない。で朝打った蕎麦が売り切れてしまって申し訳ないことに早めの閉店。すぐさま晩の分の蕎麦を追い打ちし、ネギやら天麩羅のネタやらの仕込みで休憩も取れず。

いやあ、効果あります新聞折り込み。結局殆どの方はチラシご持参でした。で、来店客数は一気に3倍化。って、基礎数がもともと低すぎたわけではありますが。

もちろんすべてのお客様にご満足いただけたわけではなく、中には厳しいご意見を下さる方もおられます。でもシレッと食べてネットでボロカス書かれるよりははるかに気持ちがいい。面と向かってご意見下さる、というのは自己顕示欲ではなく、当店への期待が動機なのでありましょうし。
で、おおかたのお客様はかなり高評価をしてくださっている。スタンプラリーとも相まってリピーターになって下さりそうな感触。この好景気を一過性にせず慢性化させねば、という切なる思いが通じるかもしれない。

そういうわけで今週は「逆襲のシュウ」なのであります。
ガンダムにひっかけようと思ったけどうまいこといかんかった。

んじゃまた
亭主敬白

2010年10月9日土曜日

皿の中のミクロコスモス

「見立て」とか「趣向」といった話です。
まあ、こういうのは好きな人は好きなのですね。知的な遊戯という側面が強い。世界史的にも希有な程平和な時代が長く続き、庶民文化が花開いた江戸期には殊の外好まれたらしい。
嫌いなお方はね、「こじつけ」とか「わざとらしい」とかでとことんお嫌いになるのですが、まあ人好きずきということで。

当店イチオシ「蓮如蕎麦」であります。山科新名物への道をまっしぐらに進むその途上にあるのです。前途遼遠ですが…。

京都東山に生まれ本願寺8世を継いだ蓮如上人は1471年越前国吉崎に吉崎御坊を建立、北陸布教の拠点とします。その後1483年には山科本願寺を完成させます。盛時は「寺中は広大無辺、荘厳ただ仏の国の如し」と言われた一大宗教都市を創り上げ、1499年に山科の地で入滅。
蓮如蕎麦はこうした上人の事績にちなんで作ったもの。

細打ちの麺はいかにもたおやかで京風を思わせるので、上人の出身である京都の象徴。
トッピングは上人の北陸布教の故事を踏まえ、また店主の越前蕎麦へのリスペクトを表して、越前そば風に大根おろし、青ネギ、花鰹。さらに揚げたそば米(蕎麦の実の殻をとり茹でたもの)を散らしています。

ネギは大地の恵み、青々とした福井平野の豊かな実りを象徴。
花鰹は逆巻く日本海の荒波。(鰹節は太平洋だろうが、というツッコミは無しでお願いします。)
真っ白な大根おろしは、北陸の雪。
かくて上人の生涯を彩る京都と越前が皿の上に現出せしめられる。
で、蕎麦の実は?
ちょっとね、仏様の螺髪(らほつ)に似ているのですね。従って蕎麦の実は仏様(真宗ですから阿弥陀様ですね)。
 では、かけつゆを何と見る。え~、かけつゆは~、と。黒いなあ。黒い。うん、整いました。つゆは墨染めの衣の象徴です。
京と越前の風物を阿弥陀様が穏やかに見守りそれら一切を墨染め衣の上人の生涯がひとつにまとめ上げる。
と、まあ、そうした御趣向です。

五木寛之さん、食べにきはらへんかなあ…
『風に吹かれて』は大好きな本のひとつだったのです。

んじゃまた
亭主敬白

2010年10月7日木曜日

「もてなす」くん

山科の商店会のゆるキャラ「もてなす」くん。
山科特産(だった)京野菜「山科なす」を山科の街づくりのシンボルにして各商店の軒先を飾っています。いっときはひんぱんに盗難事件が発生したほどの人気キャラなのです。

当店も微力ながら街づくり、街おこしの一助となりたく思って山科三条商店会の会長さんのお店(リカーショップ龍野さん)へ伺って、もてなすくんゲット。3個1000円の風船が高いか安いかわかりませんが、協賛金なら安いなあ、と思います。
さっそくのぼりにくくりつけました。
お客様を心からもてなす精神を表した「もてなす」くん。店も街も賑やかになることを祈ってくれているのです。

んじゃまた
亭主敬白


2010年10月6日水曜日

ネギ

横浜で、薬味のネギはこう切る、と教わったときは深く感嘆したものであります。
使うネギは白ネギ(白くて太いやつ)、これをまな板の上ではなく、左手に持ち中空で、右手の包丁でそぐように輪切りにしていく。まな板の上で切るよりも繊維(だったか細胞だったか)がつぶれないから臭みがすくなくなる、との説明。理論的説明もそうですが、手元でささささっと薄切りネギが生まれてくるビジュアルはなかなかにかっこいい。職人、という感じがしたものであります。

さて、いざ京都で蕎麦屋を開こうと思うと、いうまでもなく京都/関西では九条ネギ(青ネギ )が一般的。御存知ない方のために付言すると、博多のほう(だったかな?)が特産の万能ネギよりも太く、関東で一般的な白ネギよりは細く、青味の部分が多いネギ。
これは白ネギと違って軟弱なので手に持ってさささっと輪切りにするのは不可能、というか私には無理。知り合いのお蕎麦やさんにきいてもやはりまな板の上で数本束ねて輪切りにするらしい。
で、あれこれ考えましたがやはり地元に馴染みのある食材を使う方が違和感なく受け入れてもらえるか、と思い白ネギではなく青ネギを採用し、毎日せっせと切っているのです。

さて、しかし、ネギに注意をむけて京都の老舗蕎麦屋さんへいってみると、別に青ネギにこだわっている、というか、青ネギでなければならない、ということは全然ないのですね。
京都の老舗蕎麦屋さんの中には東京で蕎麦の修行を積まれた方も結構おられるように伺っています。で、普通に白ネギのお店もあり、青ネギのお店もあり…。あ、なんだ、どっちゃでもええのか。要はポリシーと自信を持って選択すればよいのだ、と今は思っております。
考えてみれば焼き物の京焼き(清水焼き)も、全国各地の色んな技法が集まって総体としての京焼きを形成している。いや、専門家ではないので間違いがあったらご指摘頂きたいですが。ただ、素人目にも、これが京焼き、という特徴はよくわからないのです。素人目だからかも知れませんが。で何が言いたいかというと、都である京都は各地の色んな文化のるつぼであり、排除の論理ではなくそれらを鷹揚に受入れ吸収して洗練させて、独特の物にしあげているということなんだろうと思います。要は何でもありの多様性が根底にあるんだろうと。で、ええとこどりをしているのだろうと。
で、その「ええとこ」として選んでいただけるよう、精進せねば、という話なのでありましょう。

さて、当店のネギですが、「白ネギ使ったら?」とおっしゃるお客様もおられたのです。(東京ご出身の方だそうです)。その時は、「いやあ、京都は九条ネギですから」とお答えはしたのですが。
それからいろいろ調べてみると、刺激臭は白ネギの方が青ネギよりも強いのだそうな。だからこそまな板を使わない技法が確立されたのかもしれません。
個人的には白ネギがしっとり小皿にのってた方が、なにやら艶っぽい感じがしてちょっとドキドキするのですがねえ。
ただ、当店では越前風のおろし蕎麦を「蓮如蕎麦」という名前で売り出し中。山科の新しい名物にしようと画策しているのです。で、これにはやはり青ネギたっぷりでないと、大根おろしの白と色がかぶってビジュアル的に面白くない。
だったら、白ネギと青ネギ、両方切って使い分けたらええやんけ。と簡単にいけるほどの包丁の腕はまだないのです。で、ウチのネギは当面九条ネギ。ご了承賜りますように。

んじゃまた
亭主敬白

2010年10月2日土曜日

人間失格

深刻な反省をしています。

あるかたが、揚げたそばと茹でたそばの違いがわからない、同じ物だ、とおっしゃった。で、ウチの蕎麦をお食べになり、その評をされた。
わたし、それに対して茹でたそばと揚げたそばの違いがわからない方の意見は参考にならない、聞くに値しない、と言ってしまったのです。

最低ですね

感覚障害がある人の意見は聞かない。障がいのある人は蕎麦の味に口を出すな、なんてね。
能力障害があることを理由にしてということだから絵に描いたような障がい者差別。
蕎麦は多様に色んな形で自由に味わうべきではないか、という自らの持論にも反している。正に整合性がない。

言われた相手の方は当店の早期の廃業を楽しみにしておられる。むべなるかな。自業自得です。
営業がどうとかいう以前に「人間としてどうよ」、という問題と認識しています。

今日で開店まる一ヶ月。
この反省を胸に心を入れ替え地道に商売していこうと思います。


亭主敬白